1980年のオリンピック選手村が刑務所に・・・
1980年に開催されたレークプラシッドオリンピック。
米ソ冷戦の最中に行われ、世界情勢がかなり反映された大会でした。
開催地のレークプラシッドはある問題を抱えていました。
それは「予算」です。
昔のオリンピックのときに使ったスタジアムを再利用するなどして何とか予算を補おうとしていました。
しかし、大きな問題だったのが世界から数千人がやってくる選手村で、2週間の滞在期間中に快適で安全な施設を作る必要がありました。
選手村の建設に費用がかかるのはもちろんですが、レークプラシッドが悩んでいたのがオリンピック終了後の「事後処理」でした。
この事後処理と言うのは、それまでのオリンピック開催国も悩んでいて、何の利用価値のない「負の遺産」に苦しむことが多々あるんです。
そこで、レークプラシッドで出たアイデアが、「選手村を刑務所としえ再利用する」ということです。
他にもアスレチックや住宅にする案も出ましたが、いずれも人口3000人規模の町にはふさわしくないものとして消えました。
当時アメリカは犯罪が増加していて刑務所が不足しているという慢性的な問題を抱えていました。
そこで、選手村を刑務所にするという案がぴったりとはまったんです。
さらに、雇用を生み出せるというメリットもありました。
しかし、神聖なオリンピックの選手村を刑務所にするというアイデアに対しては批判もありました。
刑務所にするという前提で選手村が作られたので、どうしても刑務所っぽさはぬぐいきれなかったようです。
今でもたまに「オリンピックで使われた選手村はどこにありますか?」という観光者に対して、館長は
「選手村に入るには犯罪を起こす必要があります」と堪えているそうです。(笑)
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