四国の覇者 長宗我部元親の人生とは?

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土佐国の国人から戦国大名へと成り上がり、最終的に四国統一に成功した戦国大名、長宗我部元親。四国統一を達成した割には、語られる事が少ないように感じる。息子の長宗我部盛親が関ヶ原で西軍として参戦し、大阪の陣にも豊臣方に参戦した事から、江戸時代に語られる事が少なかったのかもしれない。

本能寺の変を首謀したとも噂される四国の覇者

長宗我部元親は、土佐を統一すると伊予、阿波、讃岐を手中に収めたのである。織田信長とは同盟関係にあったが、四国統一を脅威と捉えたのが、信長は一転して臣従を要求。ここから織田信長との対立が始まるのである。織田軍は長宗我部軍を討伐すべく、四国攻撃軍を編成。四国攻めは時間の問題と思われた。

しかし、本能寺の変が起こり、長宗我部元親は九死に一生を得たのである。このことから、本能寺の変は長宗我部元親が親密だった明智光秀を使い、信長を殺害させたのではないかと言う説がある。

四国の雄である長宗我部元親の人生を描いた本が「長宗我部元親 (新人物文庫)」である。大大名でありながら謎の多い元親の生涯に迫った一冊だ。四国民ならずとも、読んで欲しい本である。ちなみに、超スケベ元チカンではない。長宗我部元親である。

 

記事元:GIGAMEN
参照元:長宗我部元親 (新人物文庫)

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