昨年、長宗我部元親が部下を通じて明智光秀に当てた書簡が発見された。内容は信長の四国政策を拒否していた元親が一転して受け入れを表明したものだった。
明智光秀は裏切り者ではなかったという仮説
長宗我部元親と明智光秀は懇意の仲にあると言われ、近年はその関係を引き裂こうとする信長と光秀の間に意見の違いが生じ、それが本能寺の変に至った原因であると考えられている。
しかし、本能寺の変についてはとにかく謎が多く、日本最大の歴史ミステリーと言われ、様々な仮説が飛び交っている。
「本能寺の変 つくられた謀反人 光秀」は、明智光秀は謀反人ではないと言う側に立って展開される歴史本だ。著者の岡野正昭氏は、母に「明智光秀と荒木村重の冤罪を晴らすように」と言われたそうで、新たな観点から本能寺の変を斬っている。
正確性については意見が別れるところで、議論を必要とする所だが、仮設と考えてみれば楽しめる。明智光秀は天下の反逆児などと呼ばれているが、正義の為に信長を討ったとも考えられる。
そういう意味では、仮に本能寺の変が光秀の仕業だとしても、逆賊とまで言い切れない気もするのだ。
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