1703年、浅野内匠頭を切腹に追い込んだ吉良上野介を討つべく、吉良邸に集結した47人の赤穂浪士たち。大石内蔵助を筆頭に、大石主税、片岡源五右衛門・・・などが大いなる決意を持って、命をかけ押し入り、吉良を討ち取った。
全ての発端は浅野内匠頭が松の廊下で吉良に刀を向けたことにある。しかし、その理由については諸説あるようで、現在も詳しいことはわかっていないそうだ。「イジメを受けていたから」、「賄賂が関係していた」などと言われているが、いずれも俗説に過ぎないと言う。
テレビドラマでは面白おかしくストーリーを作っているが、あれが全て正しいというわけではない。
海外で生まれた「赤穂浪士」バイク
また、赤穂浪士も当初は120ほどいたようで、最終的に命を懸ける事に同意したのは、47人だけだったのだ。まさに精鋭と言えよう。その噂は、海外にも届いているようだ。
なぜか?なんと、この画像のバイクは赤穂浪士をイメージしたバイク「Ronin47」で、アメリカコロラド州に本社を置くRONIN Motorworksが製造したものである。
なぜこのようなバイクを造ろうと思ったのかは不明だが、やはり赤穂浪士のスピリッツに共鳴したのだろう。Ronin47は限定47代の発売で、1台1台に浪士の名前が刻印されるそうだ。
参照元:Ronin47
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